2011年10月18日火曜日

[PP.82-88]Part 2: Lesson 6 方法を見つけること―ナイノア・トンプソン

[P.82]
1
 ナイノア・トンプソンは、ハワイ人としては600年振りに古代ポリネシアの航海術を使って航海した。彼はハワイ人やポリネシア人に古代航海術を訓練した。また、ハワイの学校に通う子ども用に、ポリネシア航海の伝統を教える教育プログラムを開発し、古代から伝わる文化的遺産を理解し、それに誇りを持たせることに貢献している。

[PP.82-83]
2
 1976年6月3日、タヒチ島のパペーテ市の港は、約1万5千人の人でいっぱいだった。港は興奮と熱気で満ちていた。ホクレア号が5月1日マウイ島を出航後、長い航海を経て帰港したばかりであった。ホクレア号は古代ポリネシアの双胴の航海カヌーを復元した船で、ハワイとタヒチ間2500マイルを航海した。
 群衆の歓喜ぶりは凄かったのも、ホクレア号の乗組員が堪えた厳しい訓練や航海途中の試練の数々のことが伝わっており、その乗組員が全員無事に帰ってきたからだ。その喜びは当然乗組員にとっても同じであったが、まだこれからタヒチからハワイへの帰りの旅が待っていた。
 乗組員全員、自分達は先祖と強く結ばれているのを実感した。そんな絆は徐々に失われつつあるものだった。ハワイ同様、タヒチでも、伝統的航海術は過去の話になっている。航海機器を用いず長距離海洋を進む古代航海術は、ハワイでは14世紀に終わったと言われていた。ナイノア・トンプソンは、パペーテの海岸で、乗組員の一員としてホクレア号をハワイに戻す航海を前にして、港に集まった人達とともに、この素晴らしい伝統の再生に喜びを感じていた。

[P.84]
3
 ハワイとタヒチ間の長距離航海で、ハワイ人は古代ポリネシアの船の航法が、船を正確に目的地に導けることを証明できた。この航海で航海士を務めたのは、マウ・ピアイルグというミクロネシアの古代航海術士だった。タヒチに到着後、マウはミクロネシアに帰郷した。ハワイへの帰路はホクレア号によるものだったが、近代的な航海機器を使用した。

[PP.84-85]
4
 マウはサタワルの出身で、それは長さ1.5マイル、幅が1マイルの島である。人口は600人。航海術はその島での文化的な再生ではない。そのような小さな島では十分な食料が作れないので、それ(航海術)は生き残りの術なのだ。彼らのような航海士たちは食べるために魚を捕りに海に出て行かなくてはならない。マウは航海士としての訓練を1歳のときに始めた。彼は祖父に選ばれ、祖父は村の熟練した航海士であった。若いうちに風を感じさせ、海の世界と結びつけさせるために、マウの祖父はマウが4歳の時に航海に連れていった。ナイノアは言う、「マウは私に言った、よく船酔いしたと、そして7歳の時には彼の祖父が、海(と一体)になるためにと彼の手を縛って海に投げ込んだと」。サタワルではこれは虐待ではなかった。究極的に、それはマウを航海士として社会に役立つようにするための準備の手助けであった。

[P.86]
5
 1978年の秋に、ナイノアはマウを見つけ、彼に、ホクレア号をまたタヒチに航海させるのではなく、ハワイの人たちが自分たちで航海できるように指導してくれるようにと頼んだ。マウは少し考える必要があると言った。ナイノアは最終的な回答なしにハワイに戻らねばならなかった。
 2ヵ月後に、マウの息子がナイノアに電話をして、明日マウがハワイに行くと告げた。そのときから、2年間マウはナイノアの家族と共に暮らし、ナイノアや他の人々に古代航海術の伝統を伝えた。
 彼は彼らに、自然、海、星、の見方、航海の仕方について教えた。マウが教えられた古代航海術は彼の家族に世代を超えて伝えられていたものだ。彼はハワイの人たちに教える決心をしたのは、そうしなければ、この偉大なポリネシアの文化の一部が完全に失われてしまうだろうと恐れたからである。 

[PP.86-88]
6
 1979年11月、マウとナイノアはラナイ展望台に空を観に行った。彼らはもうすぐタヒチに向けて、出発する所だった。ナイノアは心配になり、タヒチまでの航海という恐ろしい挑戦が成功する保証が欲しかった。
 マウはナイノアに「タヒチの方角が指せるか?」と尋ねた。ナイノアは指差した。それからマウは尋ねた。「島が見えるか?」ナイノアはその質問に当惑した。もちろん、実際には島は見えなかった。2200マイル以上の彼方にあった。しかし、その質問は真剣なものだった。
 ナイノアはそれを慎重に考えた。ついに彼は言った。「島は見えないが、でも心には島のイメージが見える」マウは言った。「よろしい。そのイメージを決して失うな、さもないとお前は迷子になるだろう」
 それが最後の教えだった。本質的に、マウはナイノアに、自分を信じなくてはならないこと、そしてもし行きたい場所のイメージを描き、それを持ち続ければ、そこへ到達できることを告げていたのである。
 1980年に、マウの祝福を受け、重大な間違いを避けるためにマウを乗船させて、ナイノアは初めてホクレア号に乗ってタヒチへ向けて操縦した。彼らは無事に到着した。
 その航海の終わった後で、ナイノアの母はマウに、なぜナイノアを教えるためにハワイに戻ることに同意したのかと尋ねた。マウは答えた、「私はナイノアの目を見た。そして判った。もし私が彼に教えなくても、彼はとにかく行ってしまうだろう。そして、多分死んでしまうだろう」と。


2011年10月16日日曜日

[PP.72-76]Part 2: Lesson 5 タイプライター デザインの授業

[PP.72-73]
1
 タイプライターの歴史は、多くの国における発明家の物語です。それぞれの発明家は、高速に書くための機械を、十分安い費用で生産でき、かつ使いやすい機械として、開発しようとしました。
 タイプライターのキーボードを見てみましょう。現在の標準的なキーボードは、1870年代にクリストファー・レイサム・ショールズがデザインしたものです。このデザインはqwertyキーボードと呼ばれていますが、その理由は、アメリカ版のキーボードでの英字の最上列が、q、w、e、r、t、yで始まっているからです。ショールズのタイプライターは、世界初ではありませんが、初期のものの中では最も成功したタイプライターです。しかし、なぜ、ショールズのタイプライターは、こんな奇妙なキーボードなのでしょう。

[PP.73-74]
2
 キーボードのデザインには、長くて面白い歴史が秘められています。キーボードのデザインは、少しずつ進化してきました。発明家たちは、初期のタイプライターにおいて、大きく分けて3つのレイアウトを試してきました。レイアウトの1つは、文字を円形に並べたもので、文字の並びはABC順でした。もう1つは、ピアノの鍵盤に似せたもので、文字をABC順の長い列に並べたものでした。実際、初期のキーボードでは、ショールズの初期バージョンも含めて、黒鍵と白鍵を並べたものがありました。円形のレイアウトと、ピアノ型のレイアウトは、どちらか片方が使いにくいものでした。結局、3番目の型のレイアウトを、全ての発明家たちが採用しました。それは、長方形にキーを並べたもので、やはりABC順でした。しかし、長方形のレイアウトには、まだ問題がありました。キーに接続されたレバーは、大きくて不格好なものでした。そのうえ、キーの大きさも間隔も並び方も、人間の手に合わせてデザインされてはいなかったのです。

[PP.74-76]
3
 現代のキーボードは、ABC順ではありません。なぜ、キーの順序が変わったのでしょうか。それは、機械的な問題に打ち勝つためです。もしタイピストがあまりに速くタイプしすぎたなら、活字棒が互いにぶつかってしまい、タイプライターがジャミングを起こしてしまいます。その解決法は、キーの配置を変えることでした。たとえばiとeのような、しばしば連続して打たれる2文字を、機械の反対側に置いたのです。この方法で、それら2文字の活字棒は互いにぶつからなくなりました。
 近代における電子的なキーボードは、伝統的な活字棒を有しませんから、ジャミングは問題になりません。ならば、なぜ、ABC順ではないキー配列がいまだに使われているのでしょうか。ABC順のキー配列の方が、習得しやすくはないのでしょうか。そうでもないのです。文字を複数の列に並べなければならない、という点を思い出して下さい。アルファベットを知るだけでは不十分です。各々の列が、どの文字で始まってどの文字で終わっているか、あなたは知らなければならないのです。それを覚えて、やっと、特定の文字を見つけるためにキーボードを順に見ていくのが、簡単になるだけです。しかも、文字を順に見ていくくらいなら、目につきやすい場所にある文字を見つける方が、はるかに簡単でしょう。qwertyキーボードは、そういう風に並んでいます。もし、あなたがキーボードのレイアウトを全く知らないのなら、qwertyキーボードだろうと、ABC順キーボードだろうと、あるいは全くバラバラの順序に並んだキー配列だろうと、キーを打つスピードはほとんど変わりません。もし、あなたがqwertyキーボードのことをほんのちょっとでも知っているなら、他のキーボードよりは使いやすいはずです。熟練したタイピストにとっては、ABC順のキー配列は、qwertyより常に遅いのです。

[P.76]
4
 産業工学の始祖の一人であるオーガスト・ドボラックは、より良いキーボードを開発しました。ドボラックのキーボードは覚えやすく、10パーセントも速くタイプすることを可能にします。しかし、ショールズのキーボードは、いまだに使われ続けています。もし、ドボラックのキーボードが導入されていたなら、それこそ何百万人もの人々が新しいタイピング法を習うはめになっていました。何百万台ものタイプライターを改造する必要がありました。たとえ、変化が改善を意味するものであったとしても、既存の習慣は、変化を妨げるものなのです。
 qwertyキーボードは、デザインにおける重要な教訓を示しています。満足のいく製品がいったん創られたならば、特にその製品が成功したならば、さらなる変更は逆効果なのです。qwertyキーボードが現在も定着しているように。